カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「ペトロの信仰告白」
2020年06月28日
2020年6月28日、本郷教会
第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録12・1-11)
第二朗読:使徒パウロのテモテへの手紙(テモテ4・6-8)
福音朗読:マタイによる福音(マタイ16・13-19)
聖ペトロ、聖パウロの二人の人は、教会の二つの礎、或いは、二本の柱というべき非常に重要な人物であります。
ペトロは、使徒の頭として、信仰を宣言し、イスラエルの小さな村から初代教会をつくり、パウロは、キリストの神秘を解き明かし、異邦人の使徒となりました。
本日のミサの叙唱が告げる通りであります。
きょうの福音で、ペトロは弟子たちを代表して、信仰告白しています。
「あなたはメシア、生ける神の子です」このペトロの信仰告白に対し、
イエスは言われました。
「バルヨナ・シモンあなたは幸いだ、あなたにこのことを表したのは人間ではなく私の父なのだ。」
イエスはペトロのこの言葉を、最大限に称賛していると思われます。
この言葉に続き、ペトロに向かって言われました。
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」
此処は、依然、わたしたちのローマカトリック教会がよく引用していた箇所であり、わたしたちの教会の成立の根拠、そして、最初のローマの司教であったペトロと、その後継者の役割、位置、特に、後日(第一バチカン公会議の時ですが)ペトロの首位権の根拠とされた箇所であります。
ペトロという名前ですが、彼のフルネームはバルヨナ・シモン
このシモンに、イエスはアラム語の「ケファ」という名前を与えられました。この「ケファ」というアラム語、彼らが話していたと思われる言葉ですが、「ケファ」をギリシャ語訳にすると「岩」という意味になります。そして、ギリシャ語では「ペトラ」となりますが、ペトラは女性名詞ですので、ペトロは男性であるから、「ペトロ」に替えたのではないかという説明があります。
「ペトラ」のままであるとすると、「ペトロの信仰」を意味していたのかもしれない。
しかし、いずれにせよ、ペトロの信仰、或いは、ペトロ自身をさすにしても、ペトロを教会成立の重要な礎にしたということに変わりはありません。
この後、さらにイエスは言われた。
「陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
「陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」この言葉によって、わたしたちはローマカトリック教会において、ペトロとその後継者は使徒の頭とされていると解釈してきました。
本日は、その問題はこれくらいにしておきまして、福音朗読の続きの部分を思い起こしたい。
この直後に、イエスは、いわゆる「受難の予告」を行っています。
イエスはご自分が「必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから、多くの苦しみを受けて、殺され、三日目には復活することになっている、と、弟子達に打ち明け始められた」と、出ているのであります。
ペトロは大変正直な人で、直ぐにその言葉に反応しまして、イエスを脇にお連れして、いさめ始めた。
「主よ、とんでもないことです、そんなことがあってはなりません。」このペトロの言葉に対して、イエスは、「お前がそう言ってくれることはありがたいが、それは違うのだよ」という説明をしたかというと、そうではなかった。いきなり、ペトロを叱責して言いました。
「サタン、引き下がれ、あなたはわたしの邪魔をするもの。神のことを思わず、人間のことを思っている」
と、なると、ペトロの信仰告白は、どれだけイエスの使命を理解した上でのことであったのか、非常に疑問になってきます。
人の思いと、神の思いの間には、天と地ほどの遊離、相違が存在していたと思われます。ペトロの言ったことは、いたって常識的なことでありました。わたしたちにもこのペトロの言葉になるほどと思う部分があります。しかし、わたしたちは既に知っています。イエスは、この後、ご自分の受難への道を歩み始めたのです。
受難とはなぜ起こったのか。イエスは自分の教えた言葉を実行しなければなりませんでした。
山上の説教、神殿での教え、これらの言葉は、すでに多くの人々、多くの宗教の指導者、祭司、ファリサイ人、律法学者、或いは長老達の反感、憎悪を引き起こしていたのであります。
わたしたちは、一年掛かって、イエスの生涯と受難を学んでいることになりますが、特に、四旬節、聖週間の典礼において、イエスの受難ということを学ぶことになっています。
わたしは、コロナ・ウイルスの問題で、今年はこの季節の典礼を充分に執行することができませんでしたが、ぜひ、次回は、イエスの受難についてもっと深くしっかりと学びたいと考えております。