カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「別離と同伴」
2020年05月24日
2020年5月24日(日)
きょうの使徒言行録は伝える。
イエスは言われた。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。
聖書朗読は次の通り。福音朗読:マタイによる福音書(マタイ28・16-20)
(そのとき、)十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエスは弟子たちの見ている前で天に挙げられたが、その際、弟子たちの使命は「地の果てまでイエス・キリストの証人となること」であると告げ、さらに、
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と命じられた。これはイエスの宣教命令である。
ここに教会の使命の根拠がある。キリストの弟子たちの使命は、キリストの証人となること、さらに、キリストの弟子をつくることである。
それが可能なのは聖霊の派遣による。
聖霊が弟子たちに降って、彼らがその使命を遂行できるようにしてくださるのである。
イエスは弟子たちから去られるに際して不思議な事を言われた。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
別離する人が、永遠の同伴を宣言している。
別れる人が、同時に、世の終わりまでいつも一緒にいる、と、一見矛盾することを言っているのである。
「別離と同伴」の成立、まさにこの点に教会の神秘がある。
この神秘は聖霊の派遣によって可能となる。
「しかし、疑う者もいた。」ともある。
生身のイエスは、もはや地上にはいない。だから、このイエスの言葉は信じ難かったのも無理はない。
いま、世界中が なお コロナウイルスの蔓延に悩んでいる。キリストは何どこにいるのだろう、と思う人もいるだろう。
キリストは目には見えない。筆者も思いがけない入院という体験をしたが、緊急事態にある教会を思い、キリストは、いま、何をどこでどうしているのか、と思わないわけではない。
教会の使命は福音宣教。いまの緊急事態で、わたしたちはキリストをどういうように告げ知らせ、証しできるだろうか。――退院の直後に、想い記す。――
第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1-11)
テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
第二朗読:エフェソの信徒への手紙(エフェソ1・17-23)
(皆さん、)どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。