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イエスの福音への招き「誰にも奪われない喜び」

2020年05月22日

復活節第6金曜日

2020年5月22日(金)

 

「いまは あなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたは もはや、わたしに何も尋ねない。」

イエスは御自分の死を目前として弟子たちに遺言を残す。
イエスは無残な死と遂げなければならなかった。弟子たちはどんなにか驚き悲しみ躓いたことだろう。
しかし、十字架刑の三日後に、イエスは復活して弟子たちの前に現れる。
この、イエスの復活という出来事の上に キリスト教の成立がある。
結局、キリスト教徒とは、ナザレのイエスの復活への信仰である。
復活してイエスが生きていて、世の終わりまでわたしたちと共にいてくださるという信仰の上に キリスト教の教会は成立し、存続し、宣教をしている。
この喜び、それは、地上のいかなる幸せが与える喜びではない。
復活したキリストから来る喜びである。
復活の証人となることこそ、すべての信者の使命である。

 

第一朗読使徒たちの宣教(使徒言行録18・9-18)

(パウロがコリントに滞在していた)ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
パウロは、一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。
パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。

福音朗読:ヨハネによる福音書(ヨハネ16・20-23a)

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。」