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イエスの福音への招き「世の誤り」

2020年05月19日

復活節第6火曜日

2020年5月19日(火)

 

「わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」

弁護者である聖霊が世の誤りを明らかにする。「世の誤り」とは何を意味するのか。子のわたしの誤りはなんであるのか。人として誤りのない人はいない。

先日述べたように貪・瞋・癡という仏教の教えがある。人は癡(じ)という拭い難い限界を持っている。人のことがわからない。誤解する。自分のことが分かってもらえないならば、自分も人のことがわからない。せめて「分からない」という限界を認める者でありたい。人はさまざまにその認識を条件付けられている、頭からそうだと思い込んでしまうことある。

聖霊来てください。わたしの心を照らしてください。心の闇を照らしてください。真実を悟らせてください。…。アーメン。

 

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録16・22-34)

(その日、フィリピの町の群衆も一緒になってパウロとシラス)を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

福音朗読:ヨハネによる福音書(ヨハネ16・5-11)

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」