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イエスの福音への招き「divinization(神化)」

2020年05月04日

復活節第4火曜日

2020年5月5日(火)

 

第一朗読より
「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」
クリスチャン(キリスト者)という呼称の起源を述べる。
この時から、恐らく、ユダヤ教からキリスト教が分離し、独立するに至ったのであろう。

福音朗読より
「わたしと父とは一つである。」
明白な宣言。
イエスは、自分は父である神と等しい存在であると断言した。
「ニケア・コンスタンチノープル信条」では、
イエスは「父と一体である」と表現されている。

勿論、わたしたちはそうは言えない。
しかし、神のいのちがわたしたちの中に注がれていることを、聖霊が与えられていることを、心から信じなければならない。
このことを、この神秘を、東方教会の伝統では、「神化」divinizationと言うそうである。
わたしたちは神の子であり、互いに、その尊厳を担う者であり、
復活したキリストの栄光の写しである、という自覚を深めたい。

 

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録11:19-26)

(その日、)ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

福音朗読:ヨハネによる福音書(ヨハネ10:22-30)

そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」