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イエスの福音への招き「信仰告白する」

2020年04月30日

復活節第3木曜日

2020年4月30日(木)

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録8・26-40)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ6・44-51)

 

使徒言行録の、エチオピアの宦官 カンダケの受洗の物語。
「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。
卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は、地上から取り去られるからだ。」

カンダケは、すでに神を礼拝するものであった。これは、イザヤ書の「主の僕の歌」である。フィリポは、この僕はイエス・キリストを意味している と説明したことだろう。
イエスが、旧約聖書で預言されていた救い主であると信じて、カンダケは即座に洗礼を受けた。
ここに、「受洗準備の教話の原型」がある。
現在の教話はどのようなものだろうか。できるだけ簡潔でありたい。
こうして、初めてエジプトに福音が伝えられたのであろう。

イエスによる教話、ヨハネ6章。
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。
あなたたちの先祖は 荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
わたしは、天から降って来た 生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

「わたしは永遠の命のパンである。」 ピリオドを打つかのように、イエスは繰り返しこの主張をしている。
この宣言の前に、人は自分の態度を決めなければならない。
ペトロたちがイエスへの信仰を宣言できたのは幸いなことであった。

さて、わたしたちは、いまもペトロに倣い、同じ信仰告白をしている。

「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたを置いて何処にいきましょう。」(聖体拝領前の祈り)