カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「ペトロのその後」
2020年04月17日
2020年4月17日
第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録4・1-12)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ21・1-14)
復活祭の後の8日間は、特別に主イエスの復活とそのご出現を記念する8日間となっています。わたしたちは毎日、弟子たちが復活したイエスに出会った次第を読んできました。復活したイエスに出会った弟子たちは、その信仰を深め、堅め、そして勇敢にイエスキリストの復活の証人となったのでありました。
今日の使徒言行録は、そのような弟子の姿、特にこのペトロの勇敢な証言を伝えています。ペトロは、「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と確信に満ちて証言しています。
そうではありますが、このペトロについて、あるいは他の弟子も同様ですけれども、このような勇敢な福音宣教者になるまでに、どこでどうしていたのだろうかと、という疑問を感じます。今日のヨハネによる福音ですと、ペトロは「わたしは漁に行く」と言うと、他の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ったとあります。ですから元の漁師に戻ったのでしょうか。彼らが漁をしている時に復活したイエスが現れたが、最初彼らはその人がイエスであるとは分からなかったのでした。昨日、一昨日の福音も、エマオへの弟子にイエスが現れた次第を読みましたが、その時もその旅人がイエスであるとは、エマオの弟子たちは、最初は分からなかった。少し経って、やっとその人がイエスであるということが分かった、となっておりました。
わたしたちの教会は、復活したイエスに出会った弟子たちによって設立されたわけでして、ナザレのイエスは十字架につけられたが、復活して今も生きておられ、いつもわたしたちと共にいてくださる、という信仰の上に教会が設立され、そして今日まで発展してきたのであります。弟子たちがそのような堅い信仰を持つに至った経緯を、復活祭後の教会の典礼は語っておりますが、四つの福音書によるイエスの出現の話は、首尾一貫していないように思われます。そしてさらに、弟子達は最初からは、イエスが現れたというように受け取ったわけではない事も、明らかであります。ですから、どのようにしてペトロ達がイエスの復活を確信するようになったのか、ちょっと不思議であるという気がしないでもありません。
それはともかく、きょうの福音ではイエスが弟子たちにパンを与え、そして取った魚も同じように裂いた、となっております。この時から、弟子たちはイエスの復活を確信するようになったのでありましょう。