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2020年04月12日
2020年4月12日
第一朗読 使徒たちの宣教(使徒言行録10.34a、37-43)
第二朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙(コロサイ3.1-4△一コリント5・6b-8)
福音朗読 ヨハネによる福音書(ヨハネ20.1-9)
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。」
今日、復活祭の福音朗読はこのような言葉で始まります。イエスの受難、十字架刑という出来事に直面した弟子たちは驚き慌て、そして恐怖に襲われて、皆、逃げてしまった。しかし、マグダラのマリアという女性はイエスの十字架のもとにとどまっていた、とヨハネは告げています。そして、週の初めの日と言いますから、今日の日曜日、まだ暗いうちにマリアはイエスの葬られた墓に詣でたのであります。墓は空であった。そしてそのことをペトロたちのところに知らせました。この マグダラのマリアの体験と証言から復活の信仰が生まれ、そして広がったのであります。
今日の第一朗読、使徒言行録ではペトロの証言が告げられています。「神は聖霊と力によって、この方を油注がれた者となさいました。」油注がれた者、つまりキリストとされました。
わたしたちはキリスト者、キリストに属する者、キリストに倣う者とされています。ペトロが言っているように、キリストを述べ伝え、証しする者とされました。
今からちょうど33年前のこと、日本の教会は日本の人々に福音宣教するための会議を開きました。福音宣教推進全国会議、いわゆる「ナイス」(NICE)と呼ばれるものであります。そして「開かれた教会づくり」をスローガンとして掲げました。教会から遠い人、苦しんでいる人、弱い立場に置かれている人、悩んでいる人に開かれている、そういう人たちが、自分の場所を見いだしていただけるような、そういうわたしたちの共同体になろうという決意を掲げたのでありました。
福音宣教、あるいは福音化という言葉で言い表されるわたしたちの使命、これはわたしたち全員の使命であります。司祭、あるいは修道者、奉献生活者がもっぱら担当するのであって、他の人は黙って聞いていればよいというわけではなくて、全員が、ここに集まっておられる全員が、それぞれの場所、それぞれの立場で、その人たちにできる福音宣教をするようにと主イエス・キリストは望んでいるのであります。
教会に来て、イエスキリストの教えを聞きたいという方がいらっしゃいます。そういう場合、もちろん司祭が教えを伝えることを行いますが、もうすでに実現していることですけれども、司祭でない方も、イエスキリストの教え、教会の教えを伝えることはできるし、そうしなければならない。いやそればかりではない。キリスト者はそれぞれ自分の置かれている場所で、その場所でできるふさわしい、イエス・キリストの証をしなければならないのであります。
そこでご一緒に考えてみたいことがあります。日本にキリスト教が伝えられて、400年、500年たちます。途中長いキリスト教禁止の時代がありましたが、明治になって、キリスト教が解禁になり、宣教できるようになって150年以上たちます。いまわたしたちは依然として少数者であります。少数者でもいいのですけれども、多くの人にイエス・キリストの福音の喜びを伝えなければならない。そのための努力をしてきました。
そこでどういう点がわたしたちの努力を難しくしているのか。キリスト教というのは、どういう点が、今の日本に住んでいる人々にとって、難しいのか。受け入れるのが難しいのか。どういう疑問があるのか。どんなことがわたしたちの課題であるのか。もちろんイエス・キリストの教えを変更して分かりやすく受け入れやすいようにするわけにはいきません。しかしわたしたちの伝え方、あるいは証しの仕方が人々にとって分かりにくいのかもしれません。よく最近、プレゼンテーションということばを聞きますけれども、どういう風にプレゼンテーションするかということをもっとわたしたちは考え、そして工夫し、新しい試みをしていかなければなりません。
それは「新しい福音化。」これは、どういうふうにしたら新しい福音化、福音宣教になるのか、みんなで考えて、みんなで話し合って進めていくことであります。
第一朗読
使徒言行録10・34a、37-43
イエスが死者の中から復活した後、わたしたちはイエスと一緒に食事をした。
使徒たちの宣教
その日、10・34aペトロは口を開きこう言った。37「あなたがたはこのことをご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
答唱詩編
詩編118・1+2、16+17、22+23
きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。
詩編118
118・1恵み深い神に感謝せよ。
そのあわれみは永遠。
2イスラエルよ、叫べ。
神のいつくしみは絶えることがない。
16神の右の手は高く上がり、
その右の手は力を示す。
17わたしは死なず、わたしは生きる。
神のわざを告げるために。
22家造りの捨てた石が、
隅の親石となった。
23これは神のわざ、
人の目には不思議なこと。
第二朗読
コロサイ3・1-4
上にあるものを求めなさい。そこにはキリストがおられる。
使徒パウロのコロサイの教会への手紙
皆さん、3・1あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
または
①コリント5・6b-8
新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。
使徒パウロのコリントの教会への手紙
皆さん、5・6bわずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。7いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。8だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。
福音朗読
ヨハネ20・1-9
アレルヤ、アレルヤ。わたしの過越、キリストはほふられた。主のうちにともに喜び楽しもう。アレルヤ、アレルヤ。
ヨハネによる福音
20・1週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。