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イエスの福音への招き「聖ヨセフの信仰」

2020年03月21日

聖ヨセフの祭日

2020年3月20日(金)、本郷教会

第一朗読:サムエル記・下(サムエル下7・4-5a、12-14a、16)
第二朗読:使徒パウロのローマの信徒への手紙(ローマ4・13、16-18、22
福音朗読:マタイによる福音(マタイ1・16、18-21、24a△ルカ2・41-51a)

説教

3月19日は聖ヨセフの祭日であります。
是非ともヨセフのミサを献げたいと望んできました。
いま読んだ福音を少し黙想してみたい。

ヨセフはいいなずけであるマリアが妊娠したことを知って、たいへん悩み苦しんだに違いありません。
「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」
これはどうすることなのかよく分かりませんが、そうこうしているうちに夢の中で天使がヨセフに告げた。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
夢の中で神のお告げがあるという話は聖書の中で何度も出てきます。
旧約聖書の中でもあります。
その夢のお告げが神からのものであるかどうかを人はどうして確かめることが出来るでしょうか。

ヨセフは単純に信じ、実行したのであります。
ほかの場面でも同じようなことがありました。
エジプトに避難した時も、夢の中で主の天使のお告げに従って、すぐに起きて取るものもとりあえず妻と子供を連れてエジプトへ避難しているわけであります。
今の時代、夢によって夢を通して本当の声が聞こえるということを、どれだけの人が信じているだろうか。

ヨセフは信じた。
ちなみにヨセフという人の生涯は、地味な隠れた生涯でありました。
エジプトから帰国してナザレに居を定め、マリアとイエスを保護し、そして養育したのであります。
そしていつの間にかその姿が消えている。

きょうの福音のもう一つの(選択)箇所は、十二歳の少年イエスが迷子になった時の話ですが、この時もマリアの言葉は伝えられているが、ヨセフの発言は何も出て来ない。
聖書全体を通して、ヨセフの発言というものは一言も出てこないのであります。

実に寡黙な人であった。
そして黙々と自分の為すべきことをし、聖書の救いの歴史から姿を消していったのでありました。
ヨセフを貫いていた、彼を支えていた思いは、神への信仰であったと思います。

第二朗読でもアブラハムの信仰についてパウロは述べています。
信じ難い時に信じた。
「あなたの子孫を天の星のように増やそう」という神の言葉がありながら、「独り子イサクを献げ物としてささげなさい」という神の言葉があった。
同じ神からの相反する矛盾する二つの言葉の間で、彼は苦しんだに違いない。どうして独り子を献げてしまって、その子孫が天の星のようになることが出来るのでしょうか。
非常に不可解な話であります。
それでもアブラハムは神にはできないことがないと信じました。

「主は備えてくださる(ヤーウェ・イルエ)」という言葉があります。
イサクの信仰も称賛されるという人もいるわけです。
イサクは「お父さん、いけにえを献げるための薪はここにありますが、いけにえはどこにいるのですか」と自分がいえにえにされるとは思っていたのかいなかったのか分かりませんが、その時のアブラハムの答えは「主は備えてくださる」でありました。

さて、いま、世界中でコロナウイルスの感染が広がっており、収束の目途がなかなか見えない。
神の造ったこの世界にどうしてそういうことがあるのだろうか。
病気一般の起源は医学者が研究しているのでしょうが、しかし神が造ったこの世界にどうしてそのようなことが有り得るのかということは、考えてみれば難しい問題であります。

しかしながら、火事が起こった時に手をこまねいて、この火事はどうして起こったのだろうかと会議を開いていても埒が明かないので、とにかく火を消すことが大事である。
消してしまった後、現場検証などをして、どうしてこの火事が起こったのかと調べて二度と起こらないようにするわけであります。

人類の歴史は何度もそういう災害に対して対応を考えてきた歴史でありますが、災害はなくならないどころか、むしろ増えているのかもしれない。
人間が起こす災害もさることながら、自然災害というものはどうして起こるのだろうか。
人間に原因がないとも言えない。
環境破壊、地球温暖化が原因になっているという考えもありますが、それだけでは説明がつかないいろいろなことがあるのではないだろうか。

こういう状況で、ヨセフのようにアブラハムのように神を信じるということは、そう易しいことではないと思うのであります。
信仰の恵みを祈りましょう・

第一朗読  サムエル記 下 7:4-5a、12-14a、16
その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、
あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
第二朗読  ローマの信徒への手紙 4:13、16-18、22
(皆さん、)神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
福音朗読  マタイによる福音書 1:16、18-21、24a
ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり(にした。)