カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「いまわたしたちがキリストに聞くとはどういうことをすればよいのか」
2020年03月09日
2020年3月8日、本郷教会
第一朗読 創世記 (創世記12:1-4a)
第二朗読 テモテへの手紙二(二テモテ1:8b-10)
福音朗読 マタイによる福音書(マタイ17:1-9)
コロナウイルス禍のため本日小教区公開ミサ中止という状況の中、本日の朗読を読んで何を思うか、次に述べる。
「主の御変容」。レオ教皇は言う。来るべき受難・十字架の出来事に遭遇する弟子たちの信仰の動揺に備えるために主イエスが配慮した出来事。
イエスは旧約の完成であることをあらかじめ教えるため。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
一箇所選ぶとすればこの箇所。現在のわたしたちは、どのようにしてイエスに聞くことができるか。
いまは、復活―聖霊降臨後の教会の時代。聞くとしたら聖霊の声に聞くくということになる。
聖霊はどのように語るか。聖霊を聞く心の準備があるだろうか。
心の清い人は幸い。わたしたちの心は執着・私心・エゴを去った醇な心になっているだろうか。
聖書を分かち合うことが最善の方法だろうと思われる。
聖書を通して聖霊は全ての人に語る。人の話を聞くことは聖霊に聞くことに通じる。
教会に聞くことは聖霊に聞くことになる。しかし、「教会の子ら」が間違えないわけではない。
聖ヨハネ・パウロ二世は使徒的書簡『紀元二千年の到来』(1994年11月10日)で、第三の千年紀を迎えるに際し、反省を促した。
それは主として、キリスト者の分裂と抗争、他宗派・他宗教への不寛容と暴力、全体主義政権による人権侵害黙認という過ちであったと思われる。
いま、キリストに聞く。キリストは何を語るのか。「わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる」と主 キリストは言われた。
第一朗読
(その日、)主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
第二朗読
(愛する者よ、)神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいて わたしたちのために与えられ、いまや、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。
福音朗読
(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、いま見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。