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イエスの福音への招き「世界平和のために」

2020年01月02日

神の母聖マリア

2020年1月1日、本郷教会

第一朗読:民数記(民数記6・22-27)
第二朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)
第三朗読:ルカによる福音(ルカ2・16-21)

説教

きょうは、主イエスがお生まれになってから8日目にあたり、イエスは割礼の日を迎え、そしてイエスという名前を付けられました。母マリアは、天使のお告げを受けて以来、自分の身に起こったことについて、思い巡らしていたのであります。

さて、きょうは「世界平和の日」と定められています。教会は世界の平和について思い巡らすよう私たちに求めております。私たちは、この地球に住む人類の一員として、また日本という国に住む国民として、さらに一人一人の人間として、静かに平和について思いめぐらし、そして平和のために祈りをお捧げいたしましょう。

毎年、世界の平和の日に向けて、教皇は世界中の人に向かってメッセージを出してくださいます。ことしのメッセージは「希望の道である平和―対話、和解、エコロジカルな回心」という副題がついています。
このメッセージを読んで思いましたことを一つ二つお伝えしたいと思います。

教皇フランシスコは、エコロジーの問題に大変深い関心を寄せています。過ぎ去った一年を考えてみれば、環境の問題はますます深刻になり、そして世界規模で多くの人がこの問題を取り上げ、考え、論じております。私たちも信者として、そして聖書を心の糧とする者として、この問題を真剣に考え、その解決のために祈らなければならないと思います。
おそらく、この問題について、私たちは基本的な理解をもう一度確認する必要があるのではないでしょうか。私たちは自分の住む家であるこの「地球」を、自分のために、自分の生活、自分の利益のためにある存在として考えて、誤解しているのではないでしょうか。

私たちと共通の家であるこの地球、そして、それに連なるほかの「被造物」との間には、深いつながりがあります。
私たちは、自分の家である「地球」を離れて存在することができません。私たちの日々の生活は、この大自然が与えてくださる数々の恵みによって支えられ、助けられているのであります。感謝こそすれ、それを乱用したり、あるいは、傷つけたりすることは、本来、もってのほかのことであります。
この被造物の中に、神の恵みが働いているのであります。
聖フランシスコが、すべての被造物に感謝と賛美を捧げたように、私たちも、「与えられているこの自然に、心から賛美と感謝をささげること」ができますよう、この新しい年、改めて、それぞれ、この一年の計画の中にそのようなことができるような具体的な計画を考えたらよいのではないかと思うのであります。

もう一つ、今日のメッセージからわたくしが受け取りましたことを申し上げます。
人間はみな、同じ神の子として造られています。どうして同じ神の子の間に、悲惨な、残酷な現実が起こっているのでしょうか。
教皇のメッセージを読むと、その原因は、「不信」と「恐れ」、あるいは「そこから生じる暴力」というものにあると言っています。
私たちの心の中にあるもの、それは複雑であって、同じ人間として、「お互いに感謝し」、そして「信頼する」ということが基本になっており、われわれは、大体、そのようにして毎日を過ごしております。が、時として、心の中に忍び込んでくること、それは、他人のことを疑ったり、あるいは、不安に思ったり、あるいは、恐れたりするということであります。
特に、争いが起こる場合に、「恐れ」ということが人間の心の中に支配しているのであると教皇は言っています。
その恐れを、取り除くためにイエスは十字架に架かり、十字架の血によって人と人の間を隔てている、「敵対」、「恐れ」の壁を打ち砕いてくださいました。
全ての人の中に神の霊が宿り、神の霊が働いているという私たちの信仰を、さらに確かめ、新たにするべきではないでしょうか。
そのために、私たちはまず自分自身を神によって造られた神の似姿であるということ、そして、イエス・キリストが十字架によって救ってくださっている存在であるということを、さらに改めて深く信じるようにしたいと思います。
自分とほかの人、それから人間以外の被造物との間にある「つながり」を改めて見つめ直し、そして感謝すること、「全てのものは神から出て、神によって一つに保たれている」という信仰の基準に、立ち戻るようにしたいと思います。
神の母聖マリアが、私たちのこの信仰を強め、支え、そして、困難の中で私たちを導いてくださるよう、祈りましょう。