カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「正しい人ヨセフ」
2019年12月24日
第一朗読 イザヤ書 7:10-14
第二朗読 ローマの信徒への手紙 1:1-7
福音朗読 マタイによる福音書 1:18-24
きょう、待降節第四主日は、「お告げの祈り」と深く結びついています。先ほど、ミサの始まる前に、「お告げの祈り」をいたしました。そのとき、最後に祈願を唱えます。
「神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを知ったわたしたちが、
キリストの受難と十字架をとおして復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。」
この祈りは、わたしたちの信仰を要約している内容であります。
おとめマリアが天使ガブリエルから受けた神のお告げを、このお告げを信じ、そして、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」
と、神の子の母となることを受諾いたしましたので、わたしたちは同じ人間となって下さった救い主イエス・キリストをお迎えすることができるのであります。
イエス・キリストは受難、十字架を経て、復活の栄光に入られました。
イエス・キリストに従うわたしたちも、復活のよろこびに入ることができると信じています。
これが、わたしたちの「信仰の要約」といってよいでしょう。この信仰を、日々、新たにするように教会は勧めております。
お告げの祈りはいつから始まったのでしょうか。朝・昼・晩の1日3回、お告げの鐘とともに唱える、伝統的な教会の祈りです。注1
「お告げの祈り」は、おとめマリアの信仰に倣う祈りですが、きょうの福音はヨセフの信仰について述べており、その信仰に倣うようにと勧めております。
マタイによる福音は、ヨセフが、苦しみの内にも主の天使が夢を通して告げられたお告げを信じたことによって、マリアは無事に男の子を産むことができたと伝えています。
このヨセフという人は「正しい人」であったとされています。
全く、自分の身に覚えがないにもかかわらず、許嫁であったマリアが妊娠するという出来事に直面し、非常に苦しんだ。その、苦しんでいる様子をあらわしているのでしょうか、東京カテドラルの庭に、「ヨセフ像」が建っています。確か、「受け容れるヨセフ」という銘が刻まれていたと思います。
「受け容れる」というのは、「天使のお告げを受け容れる」という意味なのか、それとも、その前にマリアの妊娠を知った時に、「その事実を受け容れようとしていた」のか分かりませんが、ともかく、苦しみの内にマリアを信じて受け入れようとした一人の男の姿が現れている。
ヨセフという人は、非常に誠実で、寡黙な人であった。聖書の中にヨセフの発言というのは一言も記されていないのですね。ヨセフはこう言ったということは出ていない。
そして、「不言実行の人」というのでしょうか、夢の中で天使から告げられたことを信じて、すぐに実行する。主の天使というのはどの天使かは書いていませんが、同じガブリエルだったかもしれませんけれども、「夢の中で告げられたこと」を信じ受け入れました。
さらに、思い起こしてみれば、彼は、イエスが生まれたすぐその後ですね、ヘロデ王が「生まれた子供を全員殺すように」という命令を出したわけであります。
その時も夢の中で、彼は天使のお告げを受けた。「幼な児を連れてエジプトに避難しなさい。」
彼は、夢を見ると、すぐ起きて、夜のうちに、妻と子どもを連れてエジプトに逃げて行ったと出ているのであります。さらに、ヘロデが死んだ後のことも、夢の中で、「危険は去ったから、帰っていいよ」というお告げを受けて、ナザレに住居を定めたと出ております。
このヨセフの地味な生き方は、教会の歴史の中で次第に多くの人の崇敬を集めるようになりました。
いまの教皇の前の教皇ベネディクト十六世は、引退される直前でありましたが、ミサの奉献文の中にヨセフの名前を挿入するようにという決定をして、全世界に通達しました。ですから、いま、すべての司祭はミサの奉献文の中に「ヨセフ」の名前を入れているのであります。
マリアの信仰が偉大であることは言うまでもありませんが、ヨセフの信仰があったので、「主の受肉」「ご托身」が実現したと言っても過言ではありません。
次の日曜日、主の降誕を挟んで「聖家族」の祭日となっております。その時にさらに、ヨセフという人の信仰について、いま一度、心を向け、この信仰をわたしたちの生活の中に生かすようにしたいと思うのであります。
注1 大天使ガブリエルがマリアに救い主の母となることを告げた(受胎告知)ことを記念して唱える祈り。一日に3回、朝6時、正午、夕方の6時に唱えます。Angelus Domini nuntiavit Mariae (主の天使がマリアに告げた)というラテン語の冒頭のことば「天使」に基づいて「アンジェラスの祈り」とも呼ばれています。またこのときに鳴らされる鐘をお告げの鐘(アンジェラスの鐘)と呼んでいます。この習慣は、13-14世紀頃に始まったといわれています。復活節中(復活の主日から聖霊降臨の主日まで)は、このお告げの祈りの代わりにRegina caeli laetare alleluja(天の元后、喜びたまえ、アレルヤ)を唱えます。
バチカンでは教皇が正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を唱えています。(カトリック中央協議会のホームページより)
朗読箇所
第一朗読 イザヤ書 7:10-14
(その日、)主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に、もどかしい思いをさせるだけでは足りず、わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
第二朗読 ローマの信徒への手紙 1:1-7
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、(兄弟の皆さんへ。)――この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです――神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
福音朗読 マタイによる福音書 1:18-24
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ(た。)