カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「年間第29主日C年」
2019年10月21日
2019年10月20日、本郷教会
第一朗読 出エジプト記 出エジプト17:8-13
第二朗読 使徒パウロのテモテへの手紙 二テモテ3:14-4:2
福音朗読 ルカによる福音 18:1-8
主イエスは、「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ということを教えておられます。しかし今日の福音の結びの箇所では次のように言われました。
「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰をみいだすだろうか。」(ルカ18・8)これは気になるおことばではないでしょうか。
「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ということを教えるために、たとえを話されました。いわゆる、不正の裁判官の話です。「神を畏れず人を人とも思わない」ふととぎな裁判官であっても、うるさくてかなわない、という理由から、やもめの訴えを取り上げるだろう。まして全能で慈悲深い神が昼も夜も叫び求めている人々の声を聞き届けないはずはない、と言われます。
ところで、人は辛抱強く、いつもいつまでも祈り続けなければならないのですが、ときに祈ることに飽きてしまう、祈ることをやめてしまうことがあるのではないでしょうか。いくら祈っても聞き遂げていただけないように感じることがあるかもしれない。そういう場合、自分はどういう動機で何を願っているのか、ということをしばらく自分の心を見つめながら考えてみることが必要ではないでしょうか。神様はわたしたちの自分勝手な利己的な祈りは聞き入れないことでしょう。主イエスの名にふさわしい願いでなければなりません。
神様には神様の御計画があります。神は絶えず祈る者には必ず聖霊をあたえてくださるのであります。
福音書にはイエスが人々の不信仰をとがめる場面が出てきますが、人々の信仰を賞賛する場面もすくなくはありません。ルカの福音だけに限って思い出してみますと、たとえば次のような場面を思い出すことができます。
イエスは百人隊長の信仰に感心して言いました。〈言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰をみたことがない。〉(7・9)
また罪深い女をゆるして言いました。〈あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。〉(7・50)
さらに、ヤイロの娘をいやして言われました。〈娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。〉(8・39)
エリコの近くで盲人をいやしたときに言われました。〈見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。〉(18・42)
この人たちの非常に強く必死な祈りにわたしたちも見倣わなければならないのではないかと思います。
さて本日は世界宣教の日であります。
今日の第二朗読で次のように言われています。
「 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
折が悪いときでも、人々に都合の悪い内容であっても、正しいこと、健全な教えを宣べ伝えるように、パウロはテモテを励ましています。わたしたち、洗礼を受け、さらに堅信を受けた者はすべてこのパウロの勧めに従って自分の場所で、自分のできる、御言葉を宣べ伝えるという任務に励まなければならないのであります。そうできますように、わたしたちの祈りをご一緒にお献げいたしましょう。
第一朗読 出エジプト記 17:8-13
アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」
ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。
第二朗読 テモテへの手紙 二 3:14-4:2
(愛する者よ、)自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
福音朗読 ルカによる福音書 18:1-8
(そのとき、)イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」