カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「日本は平和か?」
2019年08月11日
2019年8月11日、本郷教会
第一朗読 知恵の書 知恵18:6-9
第二朗読 使徒パウロのヘブライ人への手紙 11:1-2, 8-19
福音朗読 ルカ12:32-48
日本の教会は、平和旬間をいま過ごしております。昨日は炎天下、カテドラルでの東京教区平和旬間行事に参加してくださった方々、ほんとうにお疲れ様、ありがとうございました。
「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」とイエスは言われました。
わたしたちが主イエスと決定的にお会いするとき。それは人類でいえば、イエスの再臨のときでありましょうし、個人でいえば、わたしたちの最後のときでありましょう。そのときに問われることがある。
「あなたはどう生きたのか。」そのどう生きるということの中に、あなたは平和の実現のためにどのように働きましたか、という問いがあると思います。
「平和」とは何かということをひとことで、言葉でいうことは難しいし、あまり意味のないような気もいたしますが、それは「調和」ということではないか。
自分と神との調和、ほかの人との調和、自然との調和、そしておそらく自分自身を受け入れる平和ということではないだろうかと思うのであります。
カトリック教会 総体全体として2千年の歩みの中で平和のために力を尽くしてきましたが、非常に不充分であったということも認めざるを得ない。
ヨハネ・パウロ2世教皇、列聖された教皇は、みなさま、覚えていらっしゃると思いますが、「紀元2千年という歴史の大きな節目を迎えるにあたって、心からの反省をしましょう」と言われました。その反省の中に、ある意味で非常に政治的なことが入っている。全体主義政権が、基本的人権を侵害したときに、見過ごしてしまった、或いは黙認してしまった、ということがひとつ。それから、わたしたち教会の子ら、ま、教会の子っていうと教会のメンバーのことでしょうが、真理に仕える熱心さのあまり、暴力を使ってしまったということを言っております。真理と暴力と、非常に微妙な関係にある。暴力を行使することをイエスは否定しました。そして、敵を愛するように教えました。教会は、しかし、その教えを忠実に守ることには失敗したことがある。
日本の教会総体としてはどうだったかというと、この冊子(「戦後70年司教団メッセージ 平和を実現する人は幸い」カトリック中央協議会)をぜひお読みいただきたい。入口に置いてあります。戦後50年、60年、70年、節目のときにわたしたちは、日本の教会の、戦争についての反省を行いました。特に50年のときに、なぜわたしたちは結果的にあのアジア・太平洋戦争、多くの尊いいのちが失われたあの戦争をとめないどころか、結果的に協力してしまったのはなぜだろうかという反省をしたのであります。
そして、60周年のときには、わたしたちが戦争を深く反省した結果うまれた憲法を、日本国憲法の中で、特に政教分離の規定と、それから戦力不保持、即ち憲法9条を大切にすることを改めて誓い、そして政府と人々に訴えました。「非暴力による平和」ということをあらためて訴えたのであります。
昨日の平和旬間行事で、中野晃一先生のお話、それから菊地大司教のミサに参加して感じましたことをひとつ、ふたつ申しあげてわたしの話を締めくくりたいと思います。
中野先生の話は非常に興味深いものでありました。彼は、前後関係が切れてしまいますが、わたしは日本の社会、けっこういい社会じゃないかと思っていたのだけれども、人間関係が冷えている、冷たくなっていると。自己責任ということをいわれて、困っている人がいても、それは自分のせいだという雰囲気が支配的だということを言われたのですね。あ~そうなのか、そういえば、そういう気もすると。それがひとつですね。それから、韓国との関係に言及されて、韓国のことをもっと大切にしないとだめだと。一番大切な国なのです。隣国、長い歴史上の付き合いがある。日本と韓国は力を合わせてこの極東の平和を守らないといけない。今、中国という大国とアメリカという大国の間にものすごい緊張が生じている。そのあいだで、日本などはすぐにやっつけられてしまうし、ひとたまりもないし、朝鮮も半島が2つに分裂してしまって非常な 緊張関係にある。そういう中でごちゃごちゃしている場合じゃないのです。日本の国益のために大切だ。別に信仰上の理由とか言ってないんですが、非常になるほどと思いました。
それから、ミサのほうですが、たしかに日本はここ60年70年、戦争はしていないし戦争に加わっていない、戦争に加わっているかいないかは微妙ですけれども、戦争によって殺したり、殺されたりはしなかった。しかし、ほかの理由で殺されているのですね。いのちが粗末にされている。障がい者が虐殺される。それからさらに、悲しいことに、自死、自殺者が多い。一時、毎年3万人を超えていた。*3万人とは大変な数字なのですね。10年経つと30万人ですからね。大変な数字なのです。10数年、毎年3万人を超える人が自殺した。自殺未遂者はたぶんその10倍はいるだろう。政府はじめ多くの方の努力で3万人は切るようになったけれども、依然として2万人台の人が死んでいる。この事実は戦争よりももしかしたら悲惨かもしれない。
人間が本当に粗末にされているのかなぁ。こんなに安全な国はないと思うのですけれども、しかし逆説的に、何よりも自分で自分を大切にするということが非常に不安定になっているのではないだろうかと。わたしたちキリスト者はこの事実の前に奮起しなければならないと思います。
*1998年より14年間、連続3万人以上が自殺した。2003年がピークで3万4427人。また自殺未遂者については次のような報告も見られる。
53万5000人―――。 これは過去1年以内に自殺未遂を経験した人の数である(推計)。 「自殺未遂者は、自殺者数の10倍程度」というのが、これまでの定説だった。ところが日本財団が行った調査で、20倍近くもいることが明らかになったのである。しかも、そのうち、女性の49%、男性の37.1%が、「4回以上、自殺未遂を経験した」と回答したのだ(「日本財団 自殺意識調査2016(速報)」)。