カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き 「三位一体の神」
2019年06月16日
2019年6月16日、本郷教会
第一朗読:箴言 8:22-31
第二朗読:ローマ書簡 5:1-5
福音朗読:ヨハネ 16:12-15
本日は、三位一体の主日であります。
わたしたちは、父と子と聖霊の三位一体の神を信じております。ミサのときに唱える「ニケア・コンスタンティノープル信条」は、わたしたちの信仰理解を簡潔に表現し、告白しております。
イスラエルの人々は、唯一の神、アブラハム・モーセに現れた神を信じていました。イエスが示した神も、同じ神、アブラハムとモーセに現れた神でありますが、その神を、イエスは「父である神」と呼んだのであります。
そこで、あるとき、弟子のフィリポが、イエスに言いました。「あなたは、たびたび天の父についておっしゃいますが、わたしたちにその天の父を示してください、見せてください — そう言ったのであります —、そうすれば、満足します。」
弟子たちの間には、まだ、なにか、しっくりしない気持ちがあったのでありましょう。
その弟子たちに、イエスは言われました。
「なぜそんなことを言うのか。こんなに長くあなたがたといっしょにいるのに。わたしを見た者は、父を見たのである。わたしと父とは、ひとつである。」
見えない神は、見える人間となって、人々のところに来られ、神はどのようなかたであるかということを、肉体をもって示したのであります。
さて、イエスは、地上を去ってしまいました。そうすると、どうなるのでしょうか。
そこで重要な役割を果たす存在が、聖霊であります。
「わたしが去るのは、あなたがたにとってよいことだ。あなたがたの上に、真理の霊、聖霊が与えられるであろう」
とイエスは預言されました。
「ニケア・コンスタンティノープル信条」は、イエスが誰であるかということについて、かなりの部分を割いています。そして、その後で、聖霊について述べています。
今日、確認いたしましょう。
「わたしは信じます、主であり、命の与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また、預言者をとおして語られました」。
教会が到達した聖霊への信仰は、この短い言葉によって要約されています。
聖霊は、御子イエス・キリストが父と一体であるように、主である神である。そして、聖霊は、父と子から発出する。そして、父が礼拝され、子が礼拝されるように、聖霊も、同じように礼拝される。
聖霊の神性 — 神である性格 — を強く主張しているのであります。
聖霊は、預言者をとおして語られました。
イエスは、地上を去ったあと、聖霊を注いで、教会を設立しました。イエスは、絶えず聖霊を教会に注ぎ、いつでも、どこでも、聖霊をとおして、わたしたちを導いておられます。
今日、わたしたちが特に注意を払いたい聖書の箇所は、第二朗読のローマ書の5章5節です。
「聖霊がわたしたちのこころに注がれたので、神の愛がわたしたちのなかに宿っている 」
とパウロは宣言しています。
わたしたちは、聖霊を受け、神の愛を行うことができる者とされました。
そう言うと、その割にはあまり実りが無いね、という感じになりますが…。
わたしたちの教会は、二千年の間、歩んできた。いろいろな困難、いろいろな試練を経て、歩んできました。現在も、試練のなかにある。
わたしたちの存在、わたしたちのおこなっていることすべてが、聖霊の働きによるわけではない。 すべて、ではないのです。
すべてが聖霊の働きであるならば、そのような不祥事とか、嘆かわしいことは、あり得ないのでありますが、聖霊への協力の度合いが、まだ、はなはだ不十分であります。
聖霊降臨を迎える前に、「ノヴェナの祈り — 九日間の祈り — 」という伝統的な祈りを、皆さんにお願いしましたが、そのときに祈った祈りは、
「聖霊の実りを豊かに実行する者となれますように」という祈りでございました。
「聖霊の実り」の最初に挙げられているものは、愛であります。
「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」 それら九項目が、聖霊の働き、聖霊の実りであります。
ナザレのイエスという、わたしたちと同じ人間になってくださった神様は、今、地上にはおりませんが、その代わりに、御自身の霊をわたしたちに送り、すべての人に送り、そして、イエス・キリストの生き方を実行することができるように、してくださっているのであります。
そのために、いつも、わたしたちは、地上のさまざまなことから心を離し、そして、天上に心を上げて、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」を実行することができるよう、切にお祈りをしなければならない。
そして、それを個人で行うだけでなく、わたしたちは、互いに教え合い、励ましあって、確かに聖霊が教会のなかに働いているということを、外の人にも認めていただけるような教会であるようにしたいと思い、今日も、そのために聖霊の助けと導きをお祈りいたしましょう。