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イエスの福音への招き 「イエスの弟子であるかどうかは何でわかるか?」

2019年05月19日

復活節第5主日

2019年5月19日(日) 、本郷教会

第一朗読:使徒言行録 14:21b-27
第二朗読:ヨハネ黙示録 21:01-05a
福音朗読:ヨハネ 13:31-33a, 34-35

説教

「わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互いに愛し合いなさい.互いに愛し合うならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,皆が知るようになる」と,イエスは言われました.

イエスは,天の父のもとに昇るときに,弟子たちに宣教の命令を残されたのであります.「あなたがたは,行って,福音を宣べ伝え,すべての人をわたしの弟子にしなさい」と言われました.「わたしの弟子をつくりなさい」と言われたのであります.

キリストの弟子とはどんな人であるのかと言いますと,今日のヨハネによる福音が言っておりますように,互いに愛し合う人,イエスが弟子たちを愛したように互いに愛し合う人が,キリストの弟子であります.人々が見て,互いに愛し合っている様子を見て,ああ,この人たちはキリストの弟子である,ということが知られるようになる,と言っております.ですから,愛し合っているかどうかということが,キリストの弟子であるかどうかを判断するための基準となっています.

教会の使命は,イエス・キリストが残された命令を実行することであり,それは,福音を宣べ伝えること,そして,イエス・キリストの弟子をつくることであります.わたしたち本郷教会も,そのような使命を受けているのであります.そして,イエス・キリストの教え,それは「福音」という言葉で要約できますが,福音を宣べ伝えるということと同時に,イエス・キリストの御命令,新しい掟を実行することであります.この新しい掟は,まず,わたしたちのなかで実行されなければなりませんが,さらに,このわたしたちの枠を超えて,外に向かって広がって行かなければならないのであります.そこで,皆様に問いかけたい.いっしょに考えたい.わたしたちを見て,「そこにイエス・キリストがおられる」,「イエス・キリストの愛がそこにある」,「彼らはまさに,本当に,イエス・キリストの弟子である」と認めていただけるためには,わたしたちがどうでなければならないのか,どういうことは避けなければならないのか,どういうことをもっと実行しなければならないのか,そういうことを御いっしょに考え,求めて,追求して行きたい.わたしたちは,どう変わらなければならないのか,どういうことはやめなければならないのか,ということを,御いっしょに考える.話し合い,そして,祈り求めて行こうと思い,そのように皆様にお願いし,提案いたします.ヨハネの黙示は,新しい天と新しい地が現れた,ということを言っている.「天と地」という言葉は,世界を表している,と思います.すべてが刷新され,新しくなったときに,神のみこころが完全に行われている状態が,実現します.今は,まだそこに向かっている途中であります.ですから,わたしたちの共同体も,わたしたちひとりひとりも,神のみこころにはかなわない部分があることを,わたしたちは,謙遜に,率直に認めなければならない.そして,お互いにそうであることを踏まえて,それでもどうしたらそういう問題を克服できるのか,ということを,祈りのうちに求めて行きたいと思います.

ここで聖ヨハネ・パウロ II 世教皇は紀元二千年を迎えるときにおっしゃったことを思い出すことは,たいへん有益ではないか,と思います.千年という単位で,教皇様は,教会の過去を振り返って,反省をするように促しました.この千年間に反省すべきことは多々あるが,特に,わたしたちの間に分裂が生じたということがひとつ;それから,真理への奉仕という名のもとに暴力を使ってしまったこと;それから,基本的人権が侵害されるのを見すごしたということ,それら三つを挙げているのであります.ちょっと話が大きすぎますけれども,そのようにおおげさなことを言わなくても,わたしたち本郷教会,東京教区,あるいは,せめて日本の教会として,どうしたらよいのか,ということを,これから御いっしょに祈り求めて行きたい,と思うのであります.