2021年01月31日
フランシスコ・ザビエル 天本昭好神父(本郷教会小教区管理者)
1月8日から2度目の緊急事態宣言が出されました。実際、年が明けてから東京では既に3万人以上感染者が増加しています。さらには元旦から20日間の短期間のうちに130人以上の方たちが新型感染症によって命を奪われてしまっています。そのような中、保健所や病院では懸命に現場で対応されている従事者の方たちがいらっしゃることをわたしたちは忘れてはならないのでしょう。懸命にその使命を果たしてくださっている医療現場を支える様々な職種の方たちに励ましと慰めが絶えず与えられますように、私も日々の中で祈っています。
去年の4月に出された緊急事態宣言の時は、何もわからない暗闇のなかで不安のうちに過ごさなければいけないかのような思いをしましたが、今回の緊急事態宣言が出された状況もまた、1度目以上に市中感染が拡大していくなかで、身近な恐れが増してきています。その一方で、諦めにも似た感覚が社会に蔓延してしまっているのかもしれません。もしかすると、大多数の人は感染しても風邪程度の軽症か無症状なのだからという認識がその背後にあるのかもしれません。そうしたものが感覚を麻痺させてしまい、どうすることもできない諦めにも似たものがいまの社会を蝕んでいるかのようです。
東京教区では昨年の第1波の時は、灰の水曜日の翌日である2月27日から6月20日までの期間、教会活動自体を教区全体で自粛いたしました。しかし、今回は教区全体の閉鎖を行っていません。もちろん小教区によっては種々の事情から閉鎖しているところもあります。現在のところ、これまでの感染症対策を徹底していくことで感染予防に努め、できるだけ接触機会のリスクを避けて必要最低限の活動に抑えながらミサの継続を決めています。
これは決して、教会だから大丈夫という安易な思いや、命を守ることを軽んじている姿勢なのではありません。感染リスクがあることはいうまでもありませんし、不安や恐れを払拭できる絶対的な対策があるわけではありません。
わたしたちひとりひとりができる感染症対策をしながら、小さなことの積み重ねの中で、このような状況下にあっても、わたしたちが大切にしたい信仰の核を表現しつづけていくことを選んでいます。
それは、わたしたちがみ言葉によって時のしるしを識別しながら、岩を土台として、今を生きていることを確かめていく営みなのだと私は理解しています。
ロックダウンのような移動制限がかけられた場合には教会を閉鎖せざるをえないでしょうが、少しでも環境的な余地があるならば、信仰を表現していく営みを継続していくことにご理解いただければ幸いです。パンデミックという私たちの人生に大きな影響を与えていく体験をしているなかで、現在の体験が未来の経験知として生かされる時が来るのをしっかりと耐え忍んでいきたいと願うばかりです。
本郷教会会報『ケファ』314号 巻頭言より