お知らせ

カトリック本郷教会 > お知らせ > 岡田前大司教メッセージ > イエスの福音への招き「平和を実現する人」 

イエスの福音への招き「平和を実現する人」 

2019年08月04日

年間第18主日C年

2019年8月4日、本郷教会

第一朗読 コヘレトの言葉1・2;2;21-23
第二朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙3・1-5,9-11
福音朗読 ルカによる福音12・13-21

説教

平和旬間の開始にあたりまして、きょうは平和について考える、そして、平和のためにお祈りしたいと思います。 

きょうの福音は、「愚かな金持ち」の話であります。この金持ちは、安心したかったのでしょうか、自分のために大きな蔵を立て始めて、そこに自分の全財産をしまい、そして、これで安心できると思ったのでありました。
その金持ちに対して、神が言われたのは『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』
そしてイエスはさらに言われました。「自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ。」

自分のために富を積むということを、わたしたちもしているのかもしれない。
第一朗読で、「すべては空しい…」と言われました。
どんなに財産を積んでも、所詮、いつか失われるものである。自分のために富を積むのではなくて、神の前に豊かにならなくては意味がない。人生の意味は、自分のために生きるのではなくて、神のために、神様のみこころに従って生きるところにあるのであります。

第二朗読をご一緒に思い起こしましょう。
「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命はキリストと共に神の内に隠されている。だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い等を捨て去りなさい。」そして、日々新たにされるように努めなさい。
日々新たにされるということは、何よりも、神様のみ旨に従って新しい人間となるように努めることであり、そして、平和のために働くものとなるようになることではないでしょうか。

自分のためにだけ生きる者同士、いつも争いが絶えないのであります。しかし、ともに神のみこころに従い、平和を実現する人として努力するものが集まれば、そこに、平和が生まれるのであります。

イエスは、敵を愛するように教え、そして、暴力に依らないで平和を実現するようにと諭されました。

日本の司教団は、たびたび平和のためのメッセージを発表しております。
次のような事柄が非常に大切であると思いますので、いま、引用いたします。

「教皇ヨハネ・ペウロ二世は、聖パウロの教えに従って、平和は悪が善によって打ち負かされるときにのみもたらされる辛抱強い闘いの成果であることを明らかにしています。軍備と武力行使によってではなく、非暴力を貫き対話によって平和を築く歩みだけが「悪に対して悪をもって報いるという悪循環から抜け出す唯一の道」(注10)なのです。これはガンディーの非暴力による抵抗運動などが示しているように、多くの人の共感を呼ぶものです。この非暴力の精神は憲法第九条の中で、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄、および戦力の不保持という形で掲げられています。(注11)六十年にわたって戦争で誰も殺さず、誰も殺されなかったという日本における歴史的事実はわたしたちの誇りとするところではないでしょうか。」(カトリック中央協議会:戦後70年司教団メッセージ『平和を実現する人は幸い』)

きょうの『聖書と典礼』の7ページを皆さんご覧になって下さい。ここに、那覇教区の司教ウェイン・フランシス・バーント司教様の言葉が出ております。
沖縄のかたのこころからの願いと叫びがここに綴られています。
「キリストのこころをもって新しい人となった皆さん、キリストが望んでいる世界を築く使命を果たしましょう。被爆者の泣き声を聴いて、核兵器を廃絶するために働きましょう。沖縄県民の叫び声に耳を傾けて、戦争の準備となることを止めましょう」。

注10:2005年1月1日「世界平和の日」メッセージ
注11:憲法第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。