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イエスの福音への招き 「わたしを愛しているか?」

2019年05月05日

復活節第3主日説教

201955日、本郷教会

第一朗読 使徒言行録 5・27-32、40b-41
第二朗読 黙示録 5・11-14
福音朗読 ヨハネ21・1-19

説教

「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」と、ペトロとほかの弟子たちは勇敢に宣言しました。何が、彼らをこのような確信に満ちた勇敢な福音宣教者にかえたのでありましょうか。それは復活したイエスと彼らの出会いによるのであります。復活したイエスはたびたび使徒たちにお現れになりました。今日の福音の後半の部分を一緒に深く味わってみたいと思います。

復活したイエスとペトロとの出会いの場面であります。ま、この教会はペトロの教会でありますし、ま、わたくしも霊名がペトロでありまして、ペトロという人はどんな人であったのか、どのようにしてペトロはイエスに従うことができるように変えられたのかということを、今日は特にご一緒にみていきたい。

ここには非常に印象的な場面が展開しています。イエスはシモン・ペトロに三度もお尋ねになりました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」

「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」

「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」

三度も同じことを問われてペトロは悲しくなりました。三度も念をおされたのは、ペトロが三度も主イエスを「知らない」と言って、イエスを拒んでしまったことにつながっていると思われます。ペトロはそのことで深い心の傷を持っていました。今の言葉でいえば、トラウマというのでしょうか。

そのペトロが心からの思いを込めて答えました。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」

以前のペトロのように、なんといいましょうか、傲然とした態度ではない、この「愛しているか」と尋ねたときの「愛する」ですが 福音書でよく出てくる「愛する」という言葉のギリシャ語原文は、名詞が「アガペー」という言葉でありまして、動詞の「わたしが愛する」というときはアガパオーと言います。相手が二人称ですから、「あなたが愛する」はアガパスというのであります。もうひとつ、フィローという言葉があって、これも「愛する」という言葉ですね、「わたしは愛する」はフィロー、二人称ですとフィレイスとなりますが、このアガパスと「あなたは愛するか」、フィレイス、これも「あなたは愛するか」、この「愛する」という言葉が日本語では曖昧であります。どう訳すか難しい問題でありますが、イエスが尋ねたのは、アガパスですから、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」に対して、本来ならば「わたしは愛します」ですから、アガパオーと答えるべきですが、ペトロは、フィローと答えているのです。で、二度目の時も、フィローと答えている。同じ「愛する」ですけれども、意味合いが違う。そこでイエスのほうが、たまりかねたのでしょうか、質問の仕方を変えて、同じように「愛しているか」と訳されますが、フィレイスという言葉で「あなたはわたしを愛しているか」と尋ねました。

この二人のやりとりから、わたくしは、このイエスとペトロという人の間の、温かい、人間の血の通った愛の交わりを感じます。アガペーというのは神の愛を表しておりますけれども、人間同士の友情というか、心の交わりは、ほかにも言葉があるのですけれども、ここではフィローという言葉が、名詞だとフィリアですね、が使われているのであります。

「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

事実、ペトロはイエスの言葉に従って、良い牧者の務めを果たし、後にバチカンの丘で、逆さ十字架に掛けられて殉教した、と伝えられています。旧約聖書のエゼキエル預言書を読むと悪い牧者を糾弾する言葉が出ています。「禍(わざわい)だ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。 牧者とは群れを養うべきではないか。」(エゼキエル342)良い牧者とは群れを養う牧者であり、悪しき牧者とは自分自身を養う牧者であります。いわば羊を自分の食い物にする牧者であります。

牧者は病める者を癒し慰め、迷う者を導き、弱っている者を励まし、落胆している者に希望を示すべき者です。イエス・キリストの教会の牧者のなすべきことは、まず何よりも、力を落としている人、迷っている人々を、復活の主イエス・キリストとの出会いへと導き、キリストから力と光を得るよう導き教え励ます人でなければならないと思います。

わたしたちの教会の最高指導者はペトロの後継者、ローマの司教、フランシスコ教皇様であります。フランシスコ教皇様はこの良い牧者として、世界中の人々 特に打ちひしがれている人々、人々から見捨てられているような人々、弱りはてている人々を慰め励ますことをもって自分の最も大切な務めだとされております。すべての牧者は、良い牧者キリストに倣い、フランシスコ教皇様のように生涯を主キリスト・良い牧者に捧げなければならないと思います。

 岡田武夫名誉大司教説教集ブログより転載しています。
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