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イエスの福音への招き「めとらず嫁がず」

2019年11月12日

年間第32主日C年

2019年11月10日、本郷教会

第一朗読 マカバイ記 二マカバイ7・1‐2、9‐14
第二朗読 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 二テサロニケ2・16~3・5
福音朗読 ルカ20:27-38

説教

教会の典礼暦はまもなく待降節に入ります。今日は、復活についての主イエスの言葉を学びたいと思います。
わたしたちは死んだあと、どうなるのでしょうか。全ての人にとって最も大切な問題であります。わたしたちキリスト者は、死ということを次のように信じている。
「信じる者にとって死は滅びではなく、新しい命への門であり、地上の生活を終わったのちも、天に永遠の住処(すみか)が備えられています。」
死者のためのミサを捧げるときにとなえられる叙唱にある言葉です。
地上の生涯の終わりは死でありますが、死は滅びではない。新しい命へ移されることである。その新しい命は復活の命であります。復活の信仰は、聖書の歴史の中で次第に明らかにされてきました。そして主イエス・キリストの復活と弟子たちへのご出現によって、確固とした信仰としてわたしたちに示されています。

第一朗読は、マカバイ記という、第二正典とも呼ばれる聖書に属している聖書であります。このマカバイ記、マカバイという家の7人の息子とその母親の壮烈な、そして強い信仰に基づく最後の様子がマカバイ記で綴られております。このマカバイ記の中で既に、永遠の命への信仰と希望が表明されています。
今日の朗読から次のような箇所を読むことができる。
「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。だがあなたは、よみがえって再び命を得ることはない。」
あるいは、「わたしは、主からそれらを再びいただけるのだと確信している。」とも言われています。
イエスの時代の宗教の指導者は、祭司たちとそれから、律法学者、そしてファリサイ派の人々でありました。イエスはたびたびこれらの人々と論争しています。今日の場面は、祭司の人たちの中でサドカイ派と言われる人々との論争を告げています。サドカイっていう言葉は、サドクという司祭から来ているという説がありますが、彼らは非常に勢力のある集団で、最高法院の主要メンバーであり、ローマ帝国への協力者でもありました。モーセ五書だけを正典として認めていて、復活あるいは、天使を否定していた人たちであります。その人たちに対してイエスは言われました。「この世では結婚するということはあるが、次の世に入るならば、もはや結婚するということはなく子孫を残す必要もないだろう。」レビラト婚という言葉がございます。旧約聖書で家の財産を確保し、そして引き継がせるために定められたと思われる結婚の制度で、今日の福音にありますように、兄弟と、次々に結婚する女性が出てくるということが想定される。長男と結婚した女性がいたが、子がないまま夫がなくなると次男と結婚しなければならない。三男、次々と同じ女性を妻としなければならないという規則がありました。それをレビラト婚といいますが、そういうことが旧約聖書で決められていることを持ち出して、サドカイ派の人は、だからそんな馬鹿なことはあり得ないので、復活ということはないのであると主張したのでありましょう。

死の向こうに待っている新しい生活は、地上の生活とは全く異なる新しい世界であります。死の関門を通りぬけた人は天使に等しい者となる。天使になるということではないが、天使のようになる。パウロの言葉に依れば、それは朽ちる体が朽ちない体に変えられる。あたかも主イエスの復活のからだ、栄光のからだのように変えられると言っています。
わたしたちは、家族や親戚、友人、知人の葬儀に参加します。そして場合によって火葬場に行って遺体を火葬してもらうわけですが、その時に本当にしみじみと感じ入ることがあります。この体はたとえ火葬にしなくとも、やがて朽ち果ててしまう。それで人生終わりだろうか。わたしたちの信仰によれば、わたしたちには朽ちない、栄光の復活のからだが与えられるのであります。それはこの地上の肉体とは違うので、地上の条件に支配されない状態にある。すぐに見たり触ったりすることができませんが、そのような世界にわたしたちは入る、そういう世界に入れてもらえると信じているのであります。
わたしたちは、地上におりますので、地上というのは場所があって時間があるわけで、場所と時間の中でしか存在できませんが、霊の世界というのは、場所と時間を超えた世界であります。復活したからだというのも、場所と時間に支配されないからだになっているのであります。
今日はあらためてわたしたちの信仰、復活への信仰をより確かなものにしていただけるように、お祈りいたしましょう。今日の第二朗読からわたしたちの励ましをいただきたいと思う。
主イエス・キリストの復活に与るものとされたわたしたちが、日々聖霊の導きを受け、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者として歩むことができますように。