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イエスの福音への招き「ザアカイの物語」

2019年11月07日

年間第31主日C年

2019年11月3日、本郷教会

第一朗読 知恵の書 知恵11・22~12・2
第二朗読 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 二テサロニケ1・11~2・2
福音朗読 ルカ19:1-10

説教

今日の福音は、ザアカイという徴税人の頭の話であります。このザアカイという人は、人々から忌み嫌われていた人のようです。嫌われ者というんでしょうか。 このザアカイにとって、イエスの言葉「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」
この言葉は、文字通り喜びの言葉、福音でありました。
教会の使命は福音宣教であります。福音。喜ばしい幸いなたよりを告げることが教会の使命。人によってどういう言葉が福音であるのかは違ってくるかもしれませんが、このザアカイの場合は「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」とイエスが言って下さったことが、福音でありました。
彼は、人々から罪人(つみびと)であるとみなされていた。罪深い男であると言われていた。そのような男のところにイエスがお泊りになる。それは大変光栄なことでもありました。ザアカイは大喜びであった。そして自分の財産の半分は貧しい人に施します。損害を与えていたら四倍に賠償します、とさえ言った。この順番、つまり、イエスから声をかけてもらったということがあって、その結果、ザアカイは非常に喜んだ。喜んで、良いことをすることを即座に宣言した。逆ではなかった。ザアカイが良いことをするので、イエスは「今日あなたの家に泊まりたいと、あなたは良い人だ」と言ったわけではない。
知恵の書は、新約聖書に非常に近い内容と年代の書。イエスの到来の直前に成立したといわれている、第二正典に属する書ですが、非常に大切な内容を告げています。
神はお造りになったものを何一つ嫌われない。そして存在するものは全ていとおしまれる。もし存在するものを嫌ったり憎んでおられるのなら、それは矛盾ではないか。そういうものをお造りにならなかったはずだ。ここには、全ての存在は神によって存在している、造られた、という信仰があります。そして特に人間は、神の作品、傑作であるとさえ考えられています。
あなたの不滅の霊がすべてのものの中にある。と、書いてある。
ですから、すべてのものに、神の霊が働いている。そして、人間は神の写しというのか、似姿というのか、神ではないが、神の子、神に似たものとして造られている。
その割に、なぜ、われわれは変なことをしているのかという疑問があるのですが…。
神は自分の造ったものを決して退けない、嫌われない、憎まれない。いとおしく思い、そして、慈しんでくださる。このメッセージが福音ではないかと思います。
ザアカイは人から嫌われていた。しかし、イエスをとおして、神の行為「わたしは今日、ぜひ、あなたの家に泊まりたい。」という、イエスの言葉を受けることができたのであります。
人間と人間の関係は、なかなかむずかしくて、ある人のことはどうしても嫌いでしょうがない、ということも有り得る。逆もありますね。誰かから嫌われている、と。理由はよくわからないが、好き嫌いはやむを得ず起こる感情であります。しかし、その時に、神はご自分の造ったものを何一つ嫌われることはない、という言葉は、わたしたちの慰め、励ましになると思います。
人のことを嫌いになるだけではなくて、場合によっては自分で自分を認めにくいという気持ちになることもある。
日本では、この「自死」を遂げる人が多い。
最近、おかげさまで減少してはいますが、若い人、あるいは、子どもでさえも自殺する。どうしてだろうか、と。自分で自分のことを大切に思えないとか、自分で自分のことが嫌になってしまうという動機なのでしょうか。人からいじめられたり、否定されたりすると生きていく力がそがれてしまうからでしょうか。動機、理由は良くわかりませんが、しかし、人間が生きていくためには、だれかから認められ、期待されているということが必要であります。
わたしたちの場合は、人間関係ではむずかしいことがあっても、わたしたちを造られたのは神であり、神はわたしたちをいつくしんでくださる。
たとえ、どんな問題があっても、どんな欠点があっても、人から嫌われても、神は自分の作品を、自分のことですからね、自分でしたことを否定はしないわけであります。それが福音でないかと思うのであります。

さて、わたしたちは、地上の教会に属していますが、天上の教会には多くの聖人が憩うていらっしゃる。その間に、浄めの教会があると教会は信じている。
だれが浄めの教会にいるのか、だれが天上の教会にいるのか、わたしたちにはわかりません。わかりませんが、亡くなった方は浄めを受けて、主のもとに受け入れられるとわたしたちは信じている。
きょうは、昨日に引き続き、亡くなった方、帰天された方を想いお祈りをお捧げいたしましょう。
カトリック本郷教会の歴代の主任神父様を思い起こしていただきたい。お名前をお呼びします。
松下義一、平田忠、瀬野勇、柴田真、関戸順一、水谷九郎、内山賢次郎、井手雄太郎。
そして、レイ大司教様、そのほか多くの方が本郷教会のために牧者として働いてくださいました、感謝申し上げます。
そして、皆様ご存じの、直接ゆかりのある、亡くなったご家族、先祖の方、友人、知人、恩人、いろいろな方を思い起し、お祈りを捧げてください。あとで、もしよろしければ、ここで焼香をしてお祈りすることがふさわしいと思いますのでどうぞなさってください。