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イエスの福音への招き 「平和のために働く」

2019年07月07日

年間第14主日C年

2019年7月7日、本郷教会
第1朗読 イザヤ66:10-14c
第2朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙6:14-18
福音朗読 ルカ10:1-12、17-20

説教

今日のごミサでわたしたちは、特に何を学んだらよいでしょうか。3つの朗読、そして集会祈願を通して、わたくしは、「平和」ということをご一緒に考え、学び、そしてそのために祈りたいと思います

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)と、イエスは言われました。

今日の第一朗読では、「主は言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河のように、国々の栄を洪水の流れのように。」(イザヤ66・12)と言われています。

また第二朗読では、「大切なのは、新しく創造されることです。神のイスラエルの上に平和と憐みがありますように」とあります。

福音は、イエスが72人を遣わされたという話であります。

このときに、イエスが言われたのは、「財布も袋も履物も持っていくな。途中で誰にも挨拶するな。どこかの家に入ったらまず『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの平和はその人にとどまる。もしいなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」という言葉でありました。
何も持たずに出かけるようにと、自分の必要のために、いろいろなこと、いろんなものが考えられるけれども、そういうものは持っていくな、という、なんと軽装備というのか、無防備というのか、今のわたしたちの考え方とはまるで反対のことをイエスは言われました。
そのように言われてもなかなか実行できないなぁと、まぁ、感じます。そして、「この家に平和があるように」といいなさいと。その言葉をしっかりと受け止めていただければ良いのですが、必ずしもいつもそうなるわけではない。その場合、それから押し問答するとか、議論するとかいうわけではなくて、それはそれで終わり。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまるが、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる、そう言われた。これはどういう意味であろうかと、考えさせられるのであります。しかし、イエスはそう言われたのですから、単純にこの言葉を信じ、そのように実行するべきでありましょう。

平和はすべての人にとって最も大切な、神様からの賜物、霊の、聖霊の実りであります。平和というのは争いがないということだけではなく、神様の恵みに満たされた状態、欠けることのない、神とのふさわしい関係にあるということだと思います。そのためには、わたしたちは神との平和のうちにいなければならない、それは、ほかの言葉でいえば、罪の赦しを受けているということを、わたしたちがいつも確信していることではないでしょうか。

わたしたちは罪の赦しを受けているものであります。復活したイエスが弟子たちに現れて、最初に言われた言葉はなんであったかと思い出しますと、「あなたがたに平和があるように」という言葉でありました。
「あなたがたに平和があるように。」弟子たちはこのイエスの言葉を聞き、イエスの姿をみて、非常に喜んだのであります。

平和とは、神の御心が浸透しているという秩序であります。
平和の君、キリストの恵みによって初めてもたらされます。

平和の願いは、すべての人の願いであるはずです。しかし、神の平和、神の祝福を、受け入れられるとは限りません。それでもわたしたちは、ただひたすら平和を述べ伝え、そして平和を実現するために努力し、その結果は神の計らいにおゆだねしなければならないと思います。

平和、それはわたしたち自身の心の平和であり、また神との平和であり、さらに、わたしたち人間と、この自然環境との平和でもあります。そして、この世界、この社会の中に築きあげられるべき平和であります。
ヨハネ二十三世教皇は「地上の平和」という回勅を出されました。そして平和について述べています。
「それは、一つの秩序であり、真理を土台とし、正義によって築かれ、愛によって生かされ、そして、自由によって実践されるものであります。」すなわち、イエス・キリストを土台にし、真理・正義・愛・自由という柱の上に建てられる家であると、ヨハネ二十三世教皇は説明しました。

日本の教会は毎年8月6日から15日、平和旬間を行っております。わたしたち本郷教会は、カテドラルに近い教会であり、今年もいろいろな企画が予定されておりますので、ぜひカテドラルで行われる行事、ミサにご一緒に参加したいと考えております。