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イエスの福音への招き 「主の昇天」

2019年06月02日

主の昇天C年

2019年6月2日(日)、本郷教会

第一朗読 使徒言行録 1.1-11
第二朗読 ヘブライ人への手紙 9.24-28、10.19-23
福音朗読 ルカによる福音 ルカ24.46-53

説教

 イエスは復活されて、40日間にわたって弟子たちにお現れになり、40日目に弟子たちの見ている前で、天にあげられました。その時に、イエスは言われました。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。」 父が約束されたものとは、第一朗読、使徒言行録でもいわれておりますが、聖霊のことであり、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」とイエスが約束されたのでありました。

イエスは、ご自身の血をもって、わたしたちの、すべての人の罪を負い、罪の赦しをもたらし、わたしたちはすべての人が天の父への道を歩くことができるように、新しい、生きた道をわたしたちのためにひらいてくださいました。

復活祭までの四旬節、聖週間、そして復活祭の後の復活節を歩んできたわたしたちはいよいよ来週の日曜日、聖霊降臨の日を迎えます。この救いの歴史の中で、主イエス・キリストがわたしたちにしてくださったことをあらためて今日思い起こし、分かち合い、感謝をし、喜びを新たにいたしましょう。

今日のアレルヤ唱をもう一度味わってみたいと思います。イエスは弟子たちに言われました。「全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。」地上を去るイエスが、いわば、別れの言葉として弟子たちに残されたこの言葉。別れに際して、「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたともにいる」といわれた一見矛盾する言葉は何を意味しているのでありましょうか。地上のイエスの生涯はわずか30数年、そして弟子たちがイエスとともに過ごした期間は3年余りと思われます。その地上の生涯は、ある場所、ある期間に限定されておりました。そのイエスが地上を去ることによって、イエスは、いつでもどこにでも、ともにいることができるようになったのであります。イエスの創られた教会、その教会にイエスはいつもともにいてくださる。日本の教会、この東京教区、そして本郷教会のわたしたちとともにいつもいてくださると、わたしたちは信じております。そして、「すべての人をわたしの弟子にしなさい。」 そんなだいそれたことが、わたしたちにできるのだろうか。聖霊の力が降ると、わたしたちは力を受けるのであります。わたしたちはすでに力をいただいている。その力というのは、わたしたちにとって、皆さんにとって、どんな体験でありましょうか。今日の福音のメッセージの中に、わたくしの注意を引く言葉は「罪の赦しを得させる」という言葉であります。わたしたちは罪の赦しを受けたものである、すでに罪の赦しを与えられた。そのような思い、そのような実感をわたしたちはもっと深めなければならないと思います。

ちょっと話はそれるかもしれませんが、今、日本の社会でなにが一番問題になんだろうか。自分自身の価値を認められない、受け入れられない、と感じている人が多いのではないだろうか。自分がこの世に存在していることは素晴らしいことなんだ、ほんとに感謝しなければならない、心から感謝します、という思いで生きている人がどの位いるのだろうか。たぶんわたしたちはその中に入っているものだろうと思いますが、自分を赦せない、こんな自分をだれが受け入れてくれるだろうかという思いを持っている人もいる、あるいは少なくないのかもしれない。あなたがそこに存在していることは素晴らしいことなんだ、意味のあることなんだ、美しいことなんだ、というメッセージがいつもその人の心にこだましているならば、 わたしたちは、その人はその喜びを多くの人に伝えることができるのではないだろうか。そのような思いをいつも響かせてくださる方は、聖霊であるとわたくしは思います。聖霊はすでにわたしたちに与えられている。その聖霊が、自分の中に、わたしたちの間に与えられていることに、もっとわたしたちは気づき、注意をはらい、そしてその聖霊による喜びを他の人とともに分かち合うことが大切ではないかと思うのであります。 

わたしたちのこの本郷の教会から、聖霊によって与えられた罪の赦し、そして生きる喜びを、神から愛されているという喜びを、多くの人と分かち合うことができますよう、そのためにこのミサ聖祭が大きなめぐみであるということを、今日もより深く知ることができますよう、ご一緒にお祈りいたしましょう。